『“Frank” and I 』1部第8章: 全ての告白【英国スパンキング小説】

FrankAndI_ケンジントンバニオ

― 次の日。
― 全ての告白。
―「フランク」の学園生活。
― 罠。
― ケンジントン・バニオでの日々。
― 消え去る無垢。
― 拒否とその結果。
― 明かされるお尻ペンペンの謎。
―3度もの厳しいスリッパの仕置き。
― ヘンリーの服。
― 変身と脱出。
― サウサンプトンへの逃避行。
― 逃亡者の幸運。
― 愛の二夜目。

 僕はいつも通りの時間に、朝食を食べに階下に降りた。だがフランシスは、僕が食事を食べ終わる頃になってやっとやって来た。

 彼女は部屋に飛び込んでくると遅刻を詫び、席に着いた。いい生地で作られた上質な服を着ていた。この僕の向かいに座っている、しっかりした身なりの端正な若者が、たった数時間前に僕は処女膜を破った女の子だとは信じがたかった。彼女の顔は少し血色が悪く目はどんよりしていたが元気そうで、処女を失ったことに関して、何か気にしているようではなかった。

「フランシス、食欲があるといいけど。どうだい? まだ痛むかい?」

 僕は彼女にデビルドキドニー(子羊の心臓を使った英国料理)をとってあげながら言った。彼女は少し赤くなりながら笑い、しかし落ち着いて答えた。

「いつも通り美味しく頂いていますよ。体のだるさはありますし、お風呂に入るとき、冷たい水で冷やしたのですが、あそこはまだ少し痛いです」
「大丈夫だろう、すぐによくなるはずだ」

 僕はそう言って体を乗り出して彼女の頬にキスをした。

「全然問題ないです。愛しています!」

 彼女は声を上げて、手を僕の首に回し嬉しそうにキスを返した。僕はこの子にはぞっこんだったので、新手の彼女の愛情表現はとても嬉しかった。だから僕も両腕で、しっかり彼女を抱きしめた。

 その日はウィンチェスターでやる仕事がいくつかあり、馬車の準備を命じ、フランシスに一緒に来るかどうかを聞いた。でも彼女は少し微笑みながら、今日は家で静かにしていたいと答えた。僕は彼女にお出かけのキスをして、家を出た。

 仕事は午後遅くまでかかった。家に帰ると僕はまっすぐに自分の部屋に戻ったので、4時までフランシスには会わなかった。

 夕食時には、彼女はすっかり元に戻っていて、頬は繊細なピンク色を取り戻し、かわいい青い目は今まで通り透き通って輝いていた。
 2人ともお腹が空いていたし、料理人の出してきた料理はとても美味しかったので、食事はすっかり平らげられ、シャンパンのボトルも空けてしまった。食事中ずっと、フランシスはテンションが高く楽しそうで、ユーモラスな会話で僕を何度も笑わせた。

 葉巻を吸い終わった後、僕たちは応接間に行った。僕は開け放たれた窓の近くの安楽椅子に座り、一方フランシスはすぐ隣のスツールに座り、腕を僕の膝の上に置いた。

 僕はなんだか急に、あの、半年間フランシスと共に生活し、追い出したという、謎の女性達について話を聞きたくなった。僕は彼女の方を向いて言った。

 「フランシス、君を学校から連れ出した女性達との生活について教えてくれないか? どうして彼女たちが君にひどい扱いをしたのか、どうして彼女たちが君を追い出したのかも知りたい。それから、君がわざわざ男になりすましていた理由も」

 彼女は僕の手を取って握りしめた。

「全てお話ししましょう。今後は私たちの間に、秘密は一切なしですから」

 こうして彼女は話し始めた。


 ずっと身を偽ってはきましたとはいえ、嘘をついたことはありません。私の名前はフランシス・ハワード。以前お話ししたと思いますが、父と母は私が9歳くらいの時にインドで他界しました。

 両親が亡くなって1ヶ月後、私はイギリスに送られ、ハイゲートの私立学校に入りました。そこでは様々な年齢の20人ほどの女生徒が在籍しており、私たちはそこで大事に扱われ、しっかりとした教育を受けていました。

 校長のブレイク先生は厳しかったですが、公平で優しかったです。先生は時には鞭を振るいましたが、お仕置きは個室で行われました。お仕置きを他の女の子に見られることはなかったんです。私自身、在学中鞭を頂いたことはありませんでした。ブレイク先生はいつも私に優しく、私はとても幸せでした。

 平穏に5年が経ちました。その間学校を離れたことはありませんでした。

 14歳の時、ある朝、私はブレイク先生の部屋に呼び出され、残念ながら私のことをもうこれ以上学校に置いておくことができなくなった、と伝えられました。寮と授業の費用が半年にわたって払われていなかったのです。

 先生がおっしゃるには、私の口座のお金は引き出されてしまっており、もう残高が残っていないのだと銀行から連絡があったそうです。

 先生はその事を知り合いのご婦人にお話ししたようでした。そしてその女性は、そういう事であればと、彼女の小さい娘さんの友人として、私を家に引き取ることを提案してくれました。先生は話し終わると準備に取り掛かるようおっしゃいました。次の日にはもうそのご婦人が私を迎えに来るとのことでした。

 お金がなくなったと聞いても、不安に襲われた訳ではありませんでした。元々ほとんど使うことがなかったので、価値もよくわかっていなかったですし、そのことが何を意味しているのかも理解できていませんでした。

 何より、学校での単調な生活にもうんざりしていたので、正直それを聞いた時、ちょっと嬉しかったんです。私は先生の部屋を出ると、その日を片付けと荷物を詰め込むのに費やしました。私、その年齢の女の子にしては、たくさん服を持っていたんです。

 次の日、いつも通り他の子達と昼食をとった後、ブレイク先生が私の所にいらっしゃって、準備をして応接間でご婦人を待つようにおっしゃいました。私はそれに従いました。

 3時頃になって、ブレイク先生が上品に着飾った女性2人と一緒に部屋に入って来られました。

 レズリー様とダンダス様とおっしゃられました。後に分かったのですが、お二人は姉妹でした。 レズリー様は35歳くらいの、背が高く、色黒で見た目のよいお方でした。ダンダス様は25歳ほどの、とても可愛らしいお方で、お姉様からは子猫ちゃんと呼ばれていました。

 ブレイク先生は、私をお二人に紹介されました。私はお二人と握手をしましたが、お二人とも優しそうな方でした。このような良い方々と一緒に暮らせるのはとても幸運だと思いました。

 しばらくして、レズリー様は私にもう発つ準備はできているのかとお尋ねになられました。私、ははいと答えました。ブレイク先生は私にさよならを伝え、キスをして、ソブリン金貨を1枚くださいました。それから私はまたご婦人方として握手をして、すぐに出発することになったのです。

 入り口には、箱馬車が待っており、私はご婦人方と一緒にそれに乗り込みました。御者が馬に鞭を当てると、馬車はすぐに私が5年間、退屈だけど不幸せではなかった家から離れていきました。なんだか少し悲しくなって、涙が出ました。
 しかし、馬車の装飾品が今までに見たこともないくらい素敵なもので、私はすぐに元気になりました。柔らかいクッションに寄りかかるとすごく快適でした。私は、この人たちはお金持ちに違いないとも思いました。ご婦人方は時々私をちらちら見ながら、ひそひそと声を潜めてお話しをされていました。

 それから長い道のりの後、馬車は広い道沿いのお屋敷の前で止まりました。お屋敷の名前は忘れてしまいましたが、それが、私が半年間住んでいた、ケンジントンの家でした。

 お屋敷はとても広く、通りから一歩入った高い壁に囲われた庭の中に立っていました。馬車を降りた後、レズリー様が電気式の呼び鈴を押されると門が開きました。私たちはお屋敷へと続く細い道を通って行きました。レズリー様はすぐに私を2階のかわいらしく調度された寝室に連れて行き、くつろいでいるようおっしゃって、私にキスをして出て行かれました。

 私が言われた通りにすると、2人のきちんとした身なりのメイドが私の荷物を運び込んできました。そのうちの1人が部屋に残り、荷物の整理を手伝ってくれました。荷物をタンスやクローゼットにしまい終わると、彼女は私の髪を梳かしてくれました。その頃の私の髪はとても長くて、肩を通り越して腰まで届きそうなくらいだったんです。


 ここでフランシスは一旦話を止め言った。

「あの髪を切ってしまったことは、今でも悔やんでいます」

 僕は彼女の額にかかっている、短くカールした髪を弄りながら言った。

「もしそうしたいんだったら、また伸ばせばいいさ」

彼女は話を続けた。


 メイドは私を階下のとても素敵な応接間に案内しました。そこにはレズリー様、ダンダス様、それから他に5人の若いお嬢様方が、椅子やソファーでお茶を飲みながら、おくつろぎになられていました。

 お嬢様方は皆かわいらしくてお若く、お召し物はとても優雅で、どなたも25は越えていらっしゃらないと思われました。私のことを見ると、皆様は立ち上がり、とても興味深そうに私の周りに集られました。髪のことを褒めてくださり、かわいらしいとも言ってくださいました。あまりにも率直なお世辞にまごついていると、私は笑われてしまいました。

 しかし皆様とてもお優しく、気が付くと私も椅子に座って、これまで食べたことがないようなケーキやお茶を頂いておりました。時間はとても早く過ぎ去り、私はとても上機嫌で、私のことを女学生ではなく、一人の大人として扱ってくださるお嬢様方ともすぐに仲良くなりました。

 皆様は気さくに私とお話をされましたが、驚いたことに、全員そのお屋敷にお住まいだったのです。

 7時半になったことを鐘が知らせました。私たちは素敵なダイニングルームに入り、お花が飾られたテーブルに着きました。レズリー様が一番上座で、ダンダス様が一番下座でした。

 私にとって食事と言えば、焼いたり茹でたりした肉や質素なプリンを午後1時から食べるくらいのものだったので、そのお食事は限りなく贅沢で、ゆったりしたものに思えました。それでも私は、丁寧に調理されたお食事を心から楽しみました。
 グラスのボルドーワインも出てきましたが、あまり好みではなかったです。あ、でもデザートの時に出てきたポートワインは美味しかったですね。

 食事の後、ダンダス様を含めた6人のお嬢様は出て行き、レズリー様と私だけが残りました。レズリー様は私がここでの暮らしを気に入ってくれると嬉しいとおっしゃいました。そして、私に親類はいないのかと尋ねられたので、私は誰も知らないと答えました。

 それから私はレズリー様に、娘様とはいつお会いできるかをお聞きしました。レズリー様は笑い、何か手違いがあったようね、とおっしゃられました。彼女には娘はおらず、子供は田舎の学校に行かれているヘンリーという、私と同じくらいの年齢のご子息様だけのようでした。

 私はどこで話が変わってしまっていたのか不思議に思いましたが、それ以上は気にしませんでした。

 しばらくお話をした後、私たちは小さな応接間に戻りました。私はレズリー様から何冊か物語の本をいただき、寝室に戻りたくなったら自由に戻るようにと言われて出て行きました。

 私はしばらく読書をしていましたが、眠くなってきたので寝室に戻りました。寝室はガス灯で明るく、カーテンが下ろされ、その他全てが綺麗に整えられていました。私は椅子に腰かけながら、このような素敵な部屋を持てたことにとても満足していました。そのあと私は服を着替えて灯りを消し、大きな柔らかいベッドに入り、すぐに眠りに落ちました。

 次の日、いつも通り朝早く起きると、着替えて階下に降りていきました。しかしあたりには誰も見当たらなかったので、廊下を歩き周り、たくさんの部屋を覗いてみることにしました。どの部屋も趣を変えながら美しく調度されていました。

 1時間ほど経つと、使用人たちが降りてきて、うろついている私をじろじろ見ながら部屋や廊下の掃除を始めました。その中の1人に、朝食は10時まで準備されないので、部屋に戻っていた方が良いと言われました。私は言われた通り、部屋に戻っていることにしました。ベッドに横たわりながらも、すでにお腹はぺこぺこでした。

 ベルがなった時、食事の合図だと思い喜びました。食堂に行くとすでに皆様はお集まりでした。私たちは朝の挨拶をすると、素晴らしい朝食が並べられたテーブルに着きました。
 おいしいはずの朝食でしたが、お嬢様の中には、お疲れで眠そうで、あまりお話しする気がなさそうな方もいらっしゃいました。

 朝食後、レズリー様とダンダス様は馬車でお出かけになられたので、残りのお嬢様方と私は午後2時のランチまでいろいろと楽しく時間を潰しておりました。

 後ほど、私はレズリー様と公園にお出かけしましたが、7時半ごろには、みな再びディナー用のドレスに着替え、夕食のテーブルに着きました。夕食後は前夜と同様、皆様は出て行かれたので、私は読みかけの本を手に取り、部屋に戻りました。

 こうして数週間が過ぎて行きました。

 数日後経つと、レズリー様は私にあまり構わなくなりましたが、ほかのお嬢様方は常に私に優しくしてくださいました。私はとくにするべき仕事などもなかったので、読書や裁縫などをして楽しんでおりました。
 自由に出歩いてもよかったので、よくケンジントン・ガーデンを探索したり、道を散歩したり、ウィンドウショッピングなどをして楽しみました。その時の私は満ち溢れていて、一人になる不安など考えたこともありませんでした。

 私はすぐに、このお屋敷にはたくさんの男性が毎日お越しになっていることに気付きました。たまに夕食までご一緒される方もいらっしゃいましたが、その際には私は同席を許されませんでした。

 また、時には一晩ご滞在になられることもありました。私がベッドに入ってしばらく経つと、よく男女の話し声、笑い声、歌声が階下の広い応接間から聞こえてきたのです。

 変だなとは思いました。ただ、私も幼く世間知らずだったので、それが何を意味しているのかは分からなかったのです。今はもう私は女です。それに、世の中には色々と変わった嗜好があることも小説で読んで知っています。あのお嬢様方が何者であるか、紳士方が何をしに来ていたかも、今ではわかります。


 彼女を話すのをやめて、口元を少し微笑ませて僕の顔を見た。そして言った。
「もうレズリー様とダンダス様がどんな事業をされていたかはお分かりでしょう」
「ああ、そうだな、フランシス。だが、続きが気になる。話してくれ」


 時は過ぎていきました。そのお屋敷に住み始めてから半年が経ちました。

 なんだか変だなと漠然と思ってはいましたが、私は男性方が入られる広い応接室には入ることを許されていなかったので、何も不適切なことを見ることもありませんでした。

 また、お嬢様方も、その秘密を明かされるようなこともありませんでした。何かこの家で起きていることに関して笑って冗談を言っているようでしたが、私がそのような中、部屋に入ってくると、ぴたっとお話をやめてしまうのです。
 どうして皆様が、私の前で口にする話に関して、そこまで気を付けているのかはわかりませんでした。しかし今なら明白です。無垢な私に気を使っていたのです。

 私はお嬢様方と仲が良かったですし、私も好かれていました。私のことを一切気にかけなかったダンダス様を除いてですが。
 レズリー様は、それらのことについて何かお話になることはありませんでした。ただ、後から考えると、ここで行っていることの意味を私が理解していると思い込まれていたように思います。

 事実、私はすぐに全てを知る運命でした。

 しばらくすると、私はよくお屋敷に訪れるウッド様という年配の男性が煩わしく思うようになりました。その方は常に私に果物やお菓子、金貨などをくださりました。贈り物は受け取りましたが、私はウッド様が嫌で、できるだけすぐに離れようとしていました。彼はとても礼儀正しく、私に何かをしようということはありませんでした。

 でも、その方が、私が家を追い出された原因となるのです。

 ある日の午後、レズリー様は私を応接間に呼びこう言いました。あなたはここでもう半年もいい生活を送っている。そして、もう14歳も半ばだ。そろそろあなたのできることをやりなさい、と。

 私は、何を言われているかよくわからないまま、お役に立てることがあるならとても嬉しいと答えました。するとレズリー様は冷静に、ウッド様は私のことがとてもお気に入りだ、一晩泊まるから、一緒に寝なさいとおっしゃられました。

 その時は、私には男性と寝るということがどういうことか、全くわかっていませんでした。ただ、それを考えると私の体を流れる血が冷たくなり、恐怖と嫌悪感に満たされました。私は泣き出し、それを断りました。

 レズリー様はお怒りになり、私が恩を返そうとしないことを非難されました。それから蔑むように、この屋敷のお嬢様方は、もし望まれれば男性と共に寝ていることを知らないのかと問いただされました。

 私は体中が火照るのを感じました。体は震えていましたが、そのようなことをしているのは知らないとか何とか口にしました。私は本当に知らなかったのです。

 レズリー様はさらにお怒りになり、私が想像以上に愚かだったとおっしゃいました。

 そしてしまいに、もしウッド様と寝るのを断るというのなら、きついお仕置きを与えるとおっしゃいました。それから私は寝室に戻り、言われたことをよく考えるようにと命じられました。

 私は部屋に戻りましたが、みじめで気が遠くなりそうでした。ベッドに身を投げ出し、ひどく泣きました。しかし、レズリー様の脅しにも関わらず、ウッド様とは寝ないと決心いたしました。

 1時間ほどして、レズリー様とダンダス様が部屋にやってきました。私はベッドから飛び降り、恐怖で立ち尽くしました。

 しかし心は決まっていました。レズリー様は、彼女の指示通りにするかどうかを尋ねました。私は頬に涙を流しながらも、できないと答えました。ただ、今まで体罰を受けたことはなかったので、打つのだけは止めてくれと懇願しました。

 彼女は何も言いませんでしたが、私を掴むとベッドの上に横倒しにしました。ダンダス様がすかさず私の手首をきつく掴み、押さえました。それからレズリー様は私の短いガウンとペチコートを肩までめくり、下着を緩め、膝までずり下ろしまいた。

 私は逃げようとはしませんでしたし、止めて欲しいと請いもしませんでした。もう無駄だと分かったからです。しかしそのような無様な恰好にされていることは、とても恥ずかしく、すぐそこまで来ている苦痛も恐怖でした。
 横にさせられると同時に、ぞわぞわした感覚が私のお尻を駆け抜けました。そして恐怖で落ち着かないまま、お仕置きが始まるのを待っていました。

 レズリー様は急ぐことなく自らの片方のスリッパを手に取り、左手で私の脚を押さえつけました。そして、とても厳しいお尻ペンペンが始まりました。叩かれたことなどなかったので、耐えがたい痛みでしたが、それでもなんとか静かに耐えようとしました。しかし、お尻全体が何度も何度も強く叩かれ、痛みはどんどん増していきます。

 私はもう自分を押さえきれなくなり、身をよじり泣き始めました。レズリー様は情け容赦なくペンペンを続けました。お尻は燃え上がっているかのようで、叩かれるたびに私は大声を上げていました。

 レズリー様はようやく叩く手を止めると、スリッパを置き、妹様と一緒に部屋を出て行かれました。部屋は外から鍵をかけられました。私はペチコートをまくり上げ下着を下げたままの状態でベッドに横たわり、情けなさと痛みで泣いていました。お尻の痛みが和らいでくると、私は目に溜まった涙を拭き、ベッドから降りました。下着を着るともう一度ベッドにうつぶせになり、顔をまくらに埋めました。とても惨めな気持ちでした。

 1時間ほどして、ダンダス様がお茶と、パンとバターを持ってやって来られました。私は、お仕置きとして夕飯は抜きだと告げられました。そして、私のことを年端もいかない愚か者だと蔑んだ後、また外から鍵をかけて去って行かれました。

 次の朝、私は着替え、解放されるのを座って待っていました。朝食や昼食は運ばれてきましたが、解放されることはありませんでした。

 午後5時くらいに、レズリー様とダンダス様が現れ、再び同意するかどうかをお尋ねになりました。私は断りました。

 私は、再びベッドにうつ伏せにされ、2度目のお尻ペンペンを受けることとなりました。まだ前回のお仕置きでお尻はひりひりしていたので、さらに激しい痛みが私を襲いました。私は前回にも増して暴れ、部屋中に響く声で叫びました。お仕置きが終わった後、私はまた部屋に閉じ込められたのです。

 次の日の午後5時に、私は3度目の確認をされました。震えて涙を流し、絶望で両手を握りしめながらも、私は絶対に同意しないと言い放ちました。

 こうして、まだ痛むお尻を丸出しにされ、3度目のお尻ペンペンが始まりました。

 この回が一番痛かったです。私は顔をしかめて身も捩りながら、分厚いスリッパで打たれるたびに叫び声を上げました。ベッドから逃げ出そうと足を蹴りましたが、ダンダス様が私の手首を、レズリー様が私の脚を、叩いている間もしっかり押さえていました。私の叫びも懇願も、少しも気に留めないご様子でした。ついにレズリー様の息が上がり、スリッパが置かれると、私は同じように部屋に閉じ込められました。

 お尻はずきずきと、ひどく痛みました。叫び続けたため声は枯れ、頬には涙の跡ができました。私はベッドに横になりながら、この屈辱に10分近く泣き続けていました。

 それから起き上がり、痛むお尻を冷たい水に浸してみると、ある程度痛みは和らぎました。私は鏡の前に立ち、ペチコートを腰まで引き上げました。肩越しにお尻を見ると、ひどく腫れ、紫がかった色で、てかてかとしていました。痛くて座ることもできませんでした。その後は黒く青っぽくなっていきました。

 私は少ない食事でさらに3日間部屋に閉じ込められていましたが、それ以上お尻ペンペンを受けることはありませんでした。

 4日目にレズリー様がやってきて、もしほかのお嬢様方と同じことにしないというならば、この屋敷から追い出すとおっしゃられました。とても恐ろしかったですが、それでも私は、男性と寝るのを拒絶しました。

 レズリー様は私を怒りの形相でにらみ、そして24時間以内に出て行くように私に伝えた後、ドアを開けたまま部屋を出ていかれました。

 私は恐怖を感じるとともに完全に動転してしまっていました。私は震えながら椅子に座り込みましたが、それでも屈するつもりはありませんでした。少し落ち着いてくると、何をするべきかを考え始めました。

 女の子であるという事実が不当な扱いを受けやすいのも問題でした。もし私が男だったらと本気で願いました。

 その時、あることを閃きました。男の子の格好をして、仕事を探せばよいのです。計画を練りながら、これは申し分ないアイディアだと思いました。男であれば、男性と一緒に寝ろと言われることはないとも思い、笑ってしまいました。

 完全に男に扮するのはそこまで難しくありませんでした。なぜなら、私の隣の部屋には、レズリー様のご子息ヘンリー様のお部屋がありました。ヘンリー様にお会いしたことはありませんでしたが、私と同じ年頃で背丈も同じくらいと聞いていたので、丁度良い服が色々あることも知っていました。

 必要な物を全て集め、身支度して、船乗りになるためにサウサンプトンに向けて出発することにしました。無論、全ての計画は拙いものでした。しかし、その時はそうは思わず、男を貫き通すのは簡単だと思っていました。


 ここでフランシスはまた少し話すのを止めた。それから笑って言った。
「でも、あなたがズボンを脱がさなかったら、秘密は守り切れたかも」

「いや、僕ならズボンを脱がさなくても、君が女だということを見抜いたさ。遅かれ早かれ」
 僕も笑った。彼女は再び話し始めた。


 その午後はお茶を運んできた使用人以外、誰も私のところには来ませんでした。私は部屋を離れずに、じっくり計画を練りました。計画がしっかりまとまると、ベッドに入りました。

 翌朝、明るくなるとすぐに私は起き上がり、ヘンリー様の部屋に入り、タンスの中から、服一式と下着をとりだしました。運よく靴と麦わら帽子も見つけました。そして私は部屋に戻り、服を着替えました。ぴったりでした。髪は短く切ってしまいました。

 手持ちは4ポンドと数シリングでした。ウッド様から頂いたお金の残りです。服泥棒にはなりたくなかったので、4ポンドは服代として置いておくことに決めました。紙の切れ端に鉛筆で経緯を書置きし、それでお金を包みました。

 それから静かに階下に降りました。まだ朝早いために廊下には誰もいません。そして私は、玄関のドアを開け、力の限り走り出しました。

 行くべきところは分かりました。私はすぐにチャリングクロス行きの乗り合い馬車に乗り込み、そこからウォータールー駅まで辿り着くと、コーヒー一杯とバターを塗ったパンを食べました。

 ズボンはぎこちなく、なかなか慣れなかったですが、誰も私の格好に疑問は抱かなかったので、私はすぐに大胆になっていきました。サウサンプトンまでの列車代は持っていなかったので、目的地までの調度中間にあたるファーンボローまでの切符を買いました。

 ファーンボローに着くと、サウサンプトンまでの道を尋ね、歩き始めました。一日中歩きましたが、道のりは長く18ペンスしか持ち合わせていなかったので、宿には泊まるのは難しかったのです。

 街道沿いの居酒屋で、パンとチーズとビールを注文し、6ペンスを支払いました。それからあたりが暗くなると、幸運にも見つけた干し草の山に忍び込みました。ただ、不安でいっぱいだったため、疲れていたのにあまりよく寝られませんでした。

 朝が来ると、ちょっとした店でお茶とパンの朝食を取った後、また旅を再開しました。朝食は6ペンスで、もう残りは6ペンスしかなくなってしまっていました。15マイルほど歩いてきましたが、すでに鬱々とし始めてきていました。その時あなたが親切にも私を見て話しかけてくださったのです。

 これで全てです。私がこの素敵なお屋敷にやってきてからの、幸せな日々は、全てご存じでしょう。


 話すのを終えると、彼女は僕の膝の上に飛び乗って腕を僕の首に回した。そして情熱的にキスをした。

「愛しい人、本当にありがとう! 愛しています!」

 僕もキスを返し、長い物語を話し終えて気が立っている彼女を撫でた。だがすぐに彼女は落ち着き、静かに僕の膝の上に座り、頬を重ね合わせた。

「もう男と寝るのは怖くないのかい?」
 笑いながら僕は尋ねた。

「あなたならば怖くないですよ」
 彼女も笑って答え、僕をハグした。それから真面目くさった顔で付け加えた。

「他のどんな男とも寝ませんからね。どんな脅しでも、私に強要することはできないのです」

 そして、口元をにやっとさせて、付け加えた。

「お尻ペンペン1週間の刑でも無理です」

「それにしても、学校の先生とレズリー夫人はどういう関係だったのだろう?」
「きっと学生時代のご友人だったのではないでしょうか」
 彼女は答えた。

「そのビジネスの秘密は知っていたのだろうか?」
「そうは思いません。きっとレズリー様が騙したのだと思います。身寄りのない私を引き取って利用するために」
「そうだろうな、それなら納得がいく」

 僕はまたキスをした。

「だが、色々話して疲れただろう。もうベッドの時間かな。だいぶ遅くなってしまった」

 彼女もそれに同意して、僕たちは一緒に2階に上がった。

 しかし、フランシスは当然のように自室の前を通り過ぎ、僕の寝室に一緒に入ってきたので、僕は笑ってしまった。彼女は目をキラキラさせながら、ちょっと生意気な顔をした。

 それから服を脱ぎ、ベッドに入り込んだ。僕もそれに続く。そしてすぐに彼女と唇を重ね、胸を押し付ける。僕のペニスは、まだ少しだけ痛みの残る彼女の性器に飛び込む。

 彼女は尻を上げ、僕の力強い一突きに呻いた。


第一部 完


【補足訳注】

「ケンジントン・バニオ」

バニオはトルコ語で浴室。要するにトルコ風呂。そもそも日本で言うトルコ風呂という概念は、ヨーロッパで作り上げられたエキゾチックハーレム風俗が、上海経由で持ち込まれたものである。当時急速に都市化が進むロンドンでは、そっち系の需要を支えるためケンジントン地区に娼館が急増していたと考えらられる。

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