オーウェル『一九八四年』にて『お尻ぺんぺん物語』をばら撒く真理省の陰謀

一九八四年_お尻ぺんぺん物語_スパンキングは思考犯罪です
和泉

SF界の伝説、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』です。読んだことがなくても、名前だけは聞いたことがある人もいるはず

全体主義の管理社会を、現実離れした凝った設定で描き上げた『一九八四年』。小難しく、なんだかよくわからない機関や言語や思考や思想がぎっちりつまったザ・SFな雰囲気の小説で、ひと際異彩を放つ、謎の固有名詞があります。それは……

『お尻ぺんぺん物語』

『お尻ぺんぺん物語』とは、作中に一度だけ、中身の詳しい説明もなく名前だけ一瞬出てくるエロ本です。誰も気にせず素通りするレベル。名称の日本語訳はハヤカワ版(高橋和久訳)のもので、原作表現は 「Spanking Stories」。カチッとした文章の中、急に出てくるおしりぺんぺんとは、一体なんだ。

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作中のヒロイン・ジュリアの仕事はエロ本制作

さて、『一九八四年』を読んだことがない方は、なんか難しそうな小説なんだろうな、と思うかもしれません。思考警察(秘密警察)がにらみを利かせる管理社会なんて、ろくな娯楽はなさそうだ、とも思うでしょう。しかし、 主人公ウィンストン・スミスと恋仲になるヒロインのジュリア(26)の仕事は、政府の指示によるポルノ製作です。

和泉

一体作中の政府がどういう考えでどんなことをしているか、というのは結構面白い話ではあるのですが、そこを説明し始めると、間違いなくそれだけでこのページが終わるので……

『お尻ぺんぺん物語』にたどり着ける、最小限の内容に限って説明をしていきましょう。

  • イングソックという社会主義を基にした「オセアニア」という一党独裁の国家が舞台
  • 上位十数パーセントの党員がその他のプロールと呼ばれる労働者を支配する
  • 主人公ウィンストンとヒロインのジュリアは党員で、プロパガンダを扱う「真理省」勤務

トピックとは全く関係ないのですが、映画版1984で、ベッドシーン中に思考警察に踏み込まれて、全裸のまま拘束、連行されるジュリアはエロい。

Movie Clips

主人公ウィンストン(一応既婚)は、真理省の記録局という「正しいこと」を記録する組織に勤めています。

一方で、ジュリアは同じ真理省の虚構局に勤めています。そしてジュリアが配属されている部署が「ポルノ課」(Pornosec)なのです。

和泉

真理省虚構局ポルノ課って、事実なのかフィクションなのかどっちやねん

まあでも公務員でポルノ作れるなんて、いいじゃないですか

和泉

1984に対してそんな感想を言う人、初めて見たんだけど

で、ポルノ課ってなんですか。

真理省虚構局ポルノ課とは……

プロール(プロレタリア、労働者階級)向けの安っぽいポルノを制作する部署。課長は男性だが、他のスタッフは全員女性。性欲を制御できると党に認められたエリートたちである。なんかこの時点で、部署自体もFANZAにありそうな安っぽさ。

作品は大きな万華鏡みたいな装置を旋回させて、ストーリーを適当に組み合わせて文字通り機械的に作り上げられる。その後書き換え班によってそれっぽく整えられて、封印され出荷される。

なお、ポルノのストーリーは大体6種類くらいで細部が違うだけらしい。ジュリアはそれをバカにしているが、そんなもんじゃないですか? ジュリアさん……

『お尻ぺんぺん物語』という謎のチープさの意味

さて、問題ははこの『お尻ぺんぺん物語』(Spanking Stories)という雑な作品名。Storiesとなっていることから、スパンキング小説の短編集であることがわかります。というかそれ以上の情報は作中にはないですし、実際それ以上のものではないのでしょう。

虚構局の存在意義は、労働者階級にそれっぽい娯楽を提供して楽しませておくこと、「イングソック」と呼ばれる政治思想を行き渡らせること、そして「ニュースピーク」と呼ばれる、政府に都合の良い言語を行き渡らせることにあります。

中身の芸術性なんてどうでもよいと。エロだってアートだというのに

事実、このポルノ課の出版物は、非常に質の低いものです。しかし、それを丁寧に梱包してプロール階級の若者に行き渡らせており、そこには明確に政府の意図が存在します。それは、労働者たちに秘密裏にこれらの安っぽいポルノを買わせることで、彼らに、なんだか非合法な行為をしているように錯覚させることによる、一種のガス抜きです。

1984_spanking_stories

単調な生活に程よいエロの刺激を。そしてそこになんかニセの危なさを混ぜ込んであげれば、アドレナリン噴出、管理社会の不満なんかどっか行くこと間違いなし

『一九八四年』の世界では、政府はエロを、人々の階層によってわかりやすく使い分けています。

労働者階級のプロールに対しては、プロレフィードと呼ばれるセックスや酒、ギャンブルのような娯楽が提供されています。一方、上級国民の党員は、ポルノ課が作ったポルノを見ることさえ許されていません。あれ、党員の方が偉いんだから、逆じゃない?

これはつまり、国(党)にとって、プロールは産めよ増やせよの労働力提供家畜というわけです。一方で、本当に統制したいのは、教養があり国の脅威ともなり得る党員なのです。党員は結婚なども全て党に管理されており、反セックスのキャンペーンさえ存在します。

和泉

奔放なエロに対する批判は、全体主義が自由主義を批判する際プロパガンダのネタとしてもしばしば使われます

1986年、アメリカとソ連の間で行われた公開意見交換会で、ソ連側の女性が「ソ連にはセックスは存在しない!」と発言したことで、ソ連含む両サイドの観客から「いやいやいやwww」と爆笑された、なんてことも

例えガチ管理社会であっても、エロとして太陽の如く輝く真っ赤なお尻

ちょっと作品そのものが込み入っているので、周辺の説明が多くなってしまいました。スパンキングに話を戻しましょう。

結局この作中での『お尻ぺんぺん物語』の存在が何を意味するか。

それは、たとえ思考と行動を監視され、人がすぐ逮捕されたり、拷問されたり、失踪したり、そもそも存在しなかったことにされたりするSFレベルの「超暴力的」な管理社会で合っても、スパンキングは不特定大衆向けの猥雑なものとして機能するということです。

和泉

少なくともジョージ・オーウェルはそう考えている

ジャン・フェクサスが『尻叩きの文化史』の前書きで述べている通り、尻叩きは教育であれ刑罰であれ、いかなる状況下でいかなる人で、道具であったとしても、尻を扱う以上必ず性的な意味合いが伴われます。

幸いにも現代日本は暴力的な管理社会ではありません。では、もし暴力が日常である世界に「もしもボックス」で飛んだ時、尻を打つことはエロいのか? それは一種の思考実験の様相を呈してきます。

うん、でも私思うんですよ。『お尻ぺんぺん物語』なんてこだわりのないタイトル、絶対スパンキングの皮をかぶった、ただのセックスものじゃないですかね

和泉

そんな、「私の経験上そうです」みたいな顔されても……

でも、まあ確かに、スパンキングだけじゃプロレタリアの労働力増えないから、ちゃんと行為まで煽って持ってくようなポルノじゃなくちゃね

しかし、それでも『お尻ぺんぺん物語』がそこに置いてあったら、裏切られるだろうと思っていても、とりあえず見ちゃいますよ。悲しきサガです

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